共同監督:大澤未来 ドキュメンタリー・2017年・94分
第73回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞
第1回アイランドシアター アフタートーク
@廻り神楽末吉小
【大澤】
伊豆諸島で上映したのが多分これが初めてだと思うので・・・日本全国では上映してるんですけど、海外では上映してるんですけど、なんかちょっと感無量というか・・・自己紹介的にこの映画をみなさんに観ていただきたかったので、多分八丈島でみなさん生きている人たちが感じる海との関係とかですね、いろんなことを感じてもらえたんじゃないかなと思って、いろいろまた感想もみなさんに聞きたいなと。今日じゃなくても、どっかで会うときにいろいろ聞きたいなと思っています。
今日は第一回目のトークゲストということで、八丈島でネイチャーガイドをずっとやられています、大類さんに来ていただきました。よろしくお願いします。
【大類】
まずお疲れ様でした。すいません急に私が登場して(笑)。島でネイチャーガイドをしています、大類由里子と申します。よろしくお願いします。
未来さん、まず伊豆諸島での上映会おめでとうございます。
【大澤】
ありがとうございます。
【大類】
今年から「伊豆諸島シネマセンター」という団体を立ち上げて映画の活動を始めるということで、今回第一回目だったそうです。呼んでいただいてありがとうございます。
【大澤】
いえいえ、じゃあちょっと座らせていただいて・・・
9時終了目安になるので、40分ほどちょっとお話しさせていただければと思います。
ちょっと観たばっかりなので、僕は何百回も観てるんですけど、会場の雰囲気とか、神楽の映画なので神楽宿の雰囲気とかもそれぞれの場所によって結構違うものなので、なんかこう・・・雰囲気を見ながら神楽衆もいろいろと神楽をやっていて、今日はうるさ型のおじいさんが来てるから、ちょっときつめにやろうかとかですね、結構いろいろ神楽衆も観客のことを見ながら・・・見てないようにしているんだけど見ながらいろいろとコントロールしてるっていうところもあって、すごく魅力的だなと思っているんですけど・・・
今日は今、えいこばあ、は帰っちゃいましたけど、えいこばあも来てくれて、私もちょっと移住したきっかけとかいろいろあるんですけど、初めに泊まったのがえいこばあのガーデン荘で、いろいろ良くしてもらって、そっからいろんな知り合いも増えたし、あと大類さんが関わっている移住者協議会、そこの「おじゃれハウス」っていう移住促進の家を今年からやり始めて、ちょうど私が来てた時にその話を聞いて、おじゃれハウスもしかしたら入れるんじゃないの?みたいな話しになって、聞いたらちょうどコロナで第1号で入る人がキャンセルになったので、未来さん入りますか?と言われて、第1号で入れてもらって、いつの間にか春になったら移住してたっていう流れになります。
まあ、それはいいですけど、とりあえずちょっと大類さん、多分この映画は結構いろんな切り口があると思うんですよね。いろいろ盛り込んだつもりなんですけど、なんかこう八丈島との関係の話とかもしたいんですけど、まずは単純に岩手県の廻り神楽というこの映画を観て、率直にどんな感じですか?
【大類】
ここで話すということになって、感想を言ってねと言われたんですけど、今日私も初めて観たんですね。最初の時間はもう、なんか言わなきゃいけないからちゃんと観なきゃ!って思いながらずっと観ていたんですけれども、こういうコメントする時はビール飲みながらみんなでしたいです。一人でするのすごいきついです(笑)。観た感想ですね、もちろん映画すごい面白かったっていうのと、地元のお祭りがみんなに愛されてるなと思って、みんなが待ち焦がれてるお祭りであって・・・一軒一軒回るんですかあれは?
【大澤】
そうですね、一軒一軒神楽宿っていう宿は・・・幕張って神楽をやるのは、その一つの集落の名主だったり名主さんの家とかが多いんですけどそこでやって、神楽宿に神様が来て、その宿の集落をその日に権現様と一緒に廻って行ってお祓いをして、夜は神楽をやって、泊まって翌朝次の集落に行くっていう流れなんです。
【大類】
なのでその大きなイベントっていうよりは集落ごとに細かくお祭りをやっていくっていうのがすごく素敵だなと思ったのと、あと「権現様」という言葉がいっぱい出てきて、あの獅子みたいなのが権現様ですよね。
【大澤】
そうですね。
【大類】
すごく愛されている神様なんだって、そういうところが印象的だったのと、あとはドキュメンタリー映画なので地域の方の生の声が・・・本音がそのまま出てたのが、それぞれの言葉がすごく響いてですね。例えば権現様・・・神楽の方たちをお迎えするのに、スーパーに行けばご馳走は売ってるけど、地元のお魚で料理が作りたいとか、あとなんでしたっけ・・・いっぱいあったんですよ。
あと神楽の方側からのお話しだと、いつも通りが素晴らしいっていうことがですね。そういうのを聞いて、大津波とかが100年とか200年で起こる地域、災害の多い地域というのもあるんですけれども、お祭りはすごくみんなで盛り上げようよか、みんなで愛そうっていうのが画面から伝わってきてきたのがすごく良かったです。
【大澤】
それはありがたいです。集落で心待ちにされている神楽でその・・・なんて言えばいいんですかね、黒森神楽は少し特別な神楽っていう部分もあって、今黒森神楽が巡業している場所も他の神楽もあるんですねたくさん。で、その集落だけでしかやられていない神楽っていうのもあるんですよ。例えば出てきた大槌町の吉里吉里っていうところも神楽はあって、そこの神楽をやっている人達もいるんですね。
黒森神楽はあんまり映画の中では説明していないですけど、特別なのは集落をまたいで旅ができるっていう。江戸時代の藩のお墨付きをもらったっていうのもあるんですけど、それぞれの部落に神楽があって・・・逆にその神楽が、それぞれの地域にある神楽としては黒森神楽が来ると、またその現金収入とかいろんな縄張り争いみたいなのがあるんですね。だから結構いろんな裁判があって江戸時代に。だけれどもやっぱり黒森神楽っていうのは、非常にその・・・なんて言えばいいんですかね、霊力が強いとされているのと政治的な力っていうものがあって、いろんな複合的な要因で沿岸部を巡業できたっていう特別な神楽で、神楽衆もそれぞれの集落で神楽を小さい頃からやっていて、そこからツバを付けられて、あの子は結構いけるかもしれないぞっていって来たので、結構オールスター集団ていう。岩手県沿岸部のオールスターのメンバーが集まっているっていうところもある。
【大類】
若い方が神楽に入りたいって思うのってすごいなって思いました。
【大澤】
うんうん・・・ですよね!(笑)
【大類】
やっぱりそれだけ、多分やっている方が伝えていきたいとか続けていきたいという思いがあるから、若い人も見た時とかやりたいってなるのかなあって思いましたね。
あの、ちょっと質問してもいいですか?いろんなお祭り、神楽がある中で黒森神楽を撮ろうって思ったのはなんででしょうか。
【大澤】
そうですね、そのきっかけの話しをしてなかったんですけど、きっかけとしては私も震災のとき都内に住んでいて、何かしらしたかったというか、何かできないかなってモヤモヤずっとしていて、東北に結構通ってたんですね。一番初めに震災の一ヶ月後に、それはたまたまなんですけどボランティアに行こうというか、ボランティアっていうよりはそれプラス、私も映像を生業にしているので自分の目で見た方がいいかなと思って、震災の一ヶ月後に池袋から夜行バスで、一番北側まで行けないかなと思って行ったらたまたまそれが宮古行きっていうバスで、岩手県の宮古、場所的には岩手県の真ん中らへんの沿岸部なんですけどそこまで行って、そこからはずっと南下して、沿岸部をずっとテントと食料を持って一ヶ月ほどずっとこう南下して歩いて、ほぼ半分くらい仙台まで歩いたんですよね。その時にやっぱいろいろまた受け取ったものがあって、なにかその東北で仕事したいって思って、そしたらやっぱり何かいろいろ縁があって宮古市の震災の記憶伝承事業っていう市の記録事業があってですね、そこで映像で関わらせていただいて、その時に黒森神楽を知ったんですね。
元々神楽は好きだったんですけど、「黒森神楽」っていう名前は知ってたんですけど実際は見たことなかったし・・・ちょっと短めに言うと、黒森神楽と一緒に旅を私たち映画スタッフたちがすれば、何かこの震災の後にいろいろとモヤモヤした気持ちというか、自然とどういう風に付き合うかっていう気持ちとか、大量に人が亡くなったっていうことをどういう風に気持ちとして整理したらいいのかっていうのがわかってくるんじゃないかっていう気持ちだったんですよね。
だけどそのドキュメンタリー映画っていうのは面白いのはやっぱり、撮り始めた時には最終的にどうなるかはよくわからないわけですよ。企画書みたいなのは書くんですけど、最後にどういう風にこの旅を続けて、最後撮り終えたっていうかここで終わってもいいんじゃないかって思った時にどういうことが起きてるかっていうのはわからないっていう、そこが面白いところというか。
【大類】
そんな感じで映画って作るんですか(笑)、ほどんど決まってないっていうか・・・
【大澤】
そうですね、まあだからフィクションの劇映画の役者の方達と仕事をするのと、ドキュメンタリーの映画の違い、醍醐味といえば、プロじゃない人達と一緒に何か気持ちを通わせながら物語を作れるというかちょっと共同作業的なところもあるし、なんていうんですかね・・・即興的な感じ?音楽でいう即興演奏じゃないけど、現場現場で何が起こるかわからないわけで。その時にいろいろ想像はするんだけど、じゃあどこにカメラがあってどこの音を撮っててみたいなのを、いろいろ想像はするんだけど全然違うことが起きたりするので、そうした時にどうするのか、なんかまあちょっと祭り的な感じもあるんですよね。だから好きっていうか、そういう方が合ってるかなって。
【大類】
今回、廻り神楽を作るときに巡業にずっとついていかれたんですか?
【大澤】
そうですね。
【大類】
一回の巡業をずっとついて撮り終えたという感じですか?それとも何年か通ってるっていう・・・
【大澤】
今回のは2017年に映画ができたんですけど2016年の巡業なので、その時の1月から3月に巡業するんですよね。その時期はずっと岩手に行って、神楽衆も普段はずっと神楽をやっているわけじゃなくて普段は働いたりしていて、漁師さんもいるしいろんな人がいるんだけど、なのでだいたい週末に神楽・・・土日はどこかの部落に行って巡業をしていて1月から3月は。平日は家に戻ってやっているという。
【大類】
なるほど、じゃあずっと巡業に出っぱなしじゃなくて途中帰ってまた週末、来たりっていう感じで移動するんですね。
【大澤】
そういうことなんですね。映画の一番初めの方に車にまず権現様が乗って巡業するっていう、あれは今の形態で、だけど昔は・・・江戸時代の時は、一回出発したらもうずっと帰ってこないというか、自分の家には3ヶ月は戻らないで南下していくわけですよね。映画の中では2年に1回っていう話しが出ていたと思うんですけど、南廻りと北廻りっていうのがあって、宮古市の黒森神社を出て、南廻りをする年があったら次の年は北廻りっていって、あまちゃんで有名な久慈までずっと北上して、一番北まで行ったらもう宮古に帰ってくるっていう。今回の映画を撮ったのは南廻りの時で、宮古からずっと行って一番下は釜石まで行って帰ってくるっていう旅。昔はほんとに浜辺とか、テントっていうか野宿して泊まったりとか、村の人たちに泊めてもらったりとか、そういう旅なんですよね。
【大類】
昔は・・・そうですね。ちょっと私ばっかり聞いちゃったんですけども、もし良かったら監督に質問とかある方、良かったらどうですか?
【大澤】
何か考えておいてもらったり、何かあれば・・・
【大類】
挙手で・・・それか目を合わせて下さい(笑)。あ、みんな下向いちゃった!
じゃあ監督に感想を言いたい方とか、大丈夫ですか?
【大澤】
まあまあちょっと後で八丈島の話とかもするので、何か聞きたいことがあればみなさん聞いてもらえればと思います。
結構映画の中で海との関係を描いてるんですけど、大類さんなんかが観て、海の生活・・・海と陸の生活の中で、映画の中で思うところって何かありますか?
【大類】
私自身が大きな災害に出会ったことが実はなくて、わりとのんびり暮らしちゃったんですね。なので実際に災害に遭われた方の気持ちってどんなんなんだろうって想像でしかないんですけれども・・・津波って、震災の時八丈でも津波・・・1メーターでしたっけ、ありましたよね、あの時も漁港にちょっと見に行って、すごい勢いで海の高さが変わるのを見て、八丈でもこんなことあるから東北の方はどんなんなってるんだろうってずっと思ってましたね。
なので見てるだけでも自然てすごく綺麗だけど怖いなって思う部分もあって、今日もここ来る前八丈富士のトレッキングツアーでお鉢巡りとかして来たんですけど、風強かったんですね。あそこはギリギリに立つと結構山崩れやすいんで落っこっちゃうことあるんで、なるべく道見えてるとこ以外は絶対入らないでねって言って・・・私よりちょっと年上のお姉さんと行ったんですけど、私がじゃあ「ここで写真撮りましょう」って言って振り返ったらその人ポーズとろうと思って足元がふらついてですね、外側にぐらっとなった瞬間に落ちちゃうこの人!と思って止めたんですけど、すごく普段の生活でも結構八丈島ってリアルに危ないところがいっぱいあるなっていつも思うんです。海もすごく潮の流れも激しいし。
なので今日の映画を観て、島の自然で今はそんなに大きな危ないことってないんですけれども、普段から小さな危険なことって多いので、もう一回こう自然てなんだろうってすごい考えせられました。
【大澤】そうですよねー・・・
【大類】
お祭りをすごく大事にしてるっていうのは、そういう災害とすごく近い位置にあるのかなとも思いましたね。
【大澤】
そうですよね。だから祈りの文化っていうか、人間がコントロールできないことがしょっちゅう起きる場所にやっぱり祈りの文化が息づいてるっていうのがあるかなと思っていて、だから八丈島はそれこそ海とか津波とか、こないだ台風来ましたけど、あとはやっぱり火山ですよね、火山の災害ですよね。
【大類】
今日のお客様、たまたま熊本出身で阿蘇山噴火したので盛り上がっちゃいました(笑)。
【大澤】
すごいですよね〜
【大類】
八丈島も活火山なので、いつそういうことが起こるかね、わからないですよね。
【大澤】
そうですよね。南海トラフのこともあるわけだし、ハザードマップとか見るとかなりの高さまで(津波が)来るわけですよね。私の住んでる藍ヶ江とかも結構来ますよね多分あそこもね。
【大類】
結構来るんですかね。
【大澤】
そうですね、ハザードマップ見ると。
なのでなんかその・・・黒森神楽の芸能がこれだけ残ってるっていうのも、やっぱり祈りの文化があるし、津波が100年に一度大きいものが来るっていうことはやっぱり関係があって、深い関わりがあって、権現様が歴代のご隠居様っていうんですけど、倉庫みたいなところに権現様がいまして、それこそ南北朝時代からの権現様が・・・引退した権現様がいて、そういう祈りの文化がなぜこう残ってるのかっていうのを考えたいし・・・
私も今日、奥山善男さんに太鼓を叩いていただいたのも、映画との繋がりもそうだし、私自身が去年のコロナ(禍)になって1月ですかね、青ヶ島に縁があって行くことになって、青ヶ島に行ってそこで仲良くなったのがやっぱり太鼓を叩いてる荒井智史くんてサトくんと仲良くなって、太鼓の文化、青ヶ島は環住太鼓っていって、まあ火山で住めなくなって八丈島に避難して来てずっと帰れなくなってっていう。それがやっぱりその太鼓の文化に内包されているというか、セットになっているっていうのがなんかすごい気づかされたことで、なんかそこにも私は結構心打たれたので、何かこう青ヶ島、八丈島で・・・私も東京生まれなんだけど伊豆諸島のこと全然知らなかったなと思って、その火山の歴史とか、そういうことも含めていろいろ考えられることがあるなっていう風に思って、なんか来たっていうのも一つあるので、今日は環住太鼓というかよされ会のみなさんに叩いてもらったのも、明日もちょっとポットホールで叩いていただけるっていうのもむちゃくちゃありがたいんですけど、なんかすごく私の中でありがたいなというか、何かが繋がっているなという気持ちはあって本当にありがとうございます。
そうですね、ちょっとその今日の八丈のもう一つ話したいなと思っていた話題があって、その話にちょっと入っていきましょうか。
【大類】
なんかさっきから一人だけ極端に若いなって思ってる人いません?この中で(笑)。スペシャルゲストがいるんです。
【大澤】
今日来ていただいて、大類さんの方からご紹介いただければ。
【大類】
えっとですね、未来さんの知り合ったのは移住定住促進協議会で移住される頃に出会ったのもあるんですけれども、去年の12月ですね、八丈町に・・・八重根漁港に漂着船が来ましたよね。あれのことでもなんかすごく関わってくれてですね、そっからも繋がっていたと言いますか・・・先に呼びましょうか。虎生くんていう八丈高校2年生の生徒さんなんですが、来てから漂着船の話しします。
【大澤】
ちょっと椅子を一個出して配置を変えましょう。真ん中に。
【大類】
じゃあ虎生くん自己紹介をぜひみなさんに。
【虎生くん】
みなさんこんばんは。八丈高校2年の川口虎生です。自分は授業の中で漂着船のことを調べてて一緒に大類さんとやらせてもらってるんですけど、今回それでお呼びしていただいて・・・よろしくお願いします。
【大澤】
よろしくお願いします。座っていただいて・・・
【大類】
ちょっと漂着船について説明します。去年12月11日に八重根漁港に漂着船が来て、それがネットに・・・NHKでもでたのかな?ネットのニュースとかですごく流れて、わあすごいもの届いたな〜と思いましてですね、震災の時の船が10年かけて八丈島に届いたんで、なんかすごい出来事があるなと思いまして。すぐ見に行きたかったんですけど、ちょっと仕事がすごい立て込んでて3日か4日経った後に見に行ったんですね。でなんとなくその場にいた方とか、漂着船についてわりと詳しい方に聞いたら、海洋ゴミだから処分しちゃうっていう話しを聞いたんです。あんなにすごい船処分しちゃうの?って思いまして、みなさん映像で見たことはありますよね。珊瑚がいっぱいついてて、今・・・これちょうど3日、4日目に撮った写真ですね。珊瑚がついてるやつってありますかね?それを見たときにこう、漁師さんの話しだと、この縁の部分だけが浮いていてあと全部海に沈んでたそうなんです。
【大澤】
こんなにピンクなんですね・・・
【大類】
まだ生きてましたねこの時は。
【大澤】
これは上げたすぐですか?
【大類】
上げてすぐくらいの写真みたいですね。一日経ってたのかな?それくらいですよね。で、漁師さんが近づいて流木かと思って、八重根漁港の航路内にあったから邪魔だからどかそうと思って近づいたら船だったのでびっくりしてみんなで引き上げて、どうするどうするみたいになって、処分しましょうかみたいな声があって、それはちょっと良くないよねって言って、処分したくない人たちでワーワー言ってですね、なんとかその時は島内の方と仲間と、島外にも同じような気持ちになってた方がいらっしゃったので、みんなで署名を書いてですね、ちょっと処分はやめて下さいっていう風になって、処分がなくなりました。今置き場所がないので、漁港に置いておくと邪魔なのでとりあえずお友達の畑に置かせてもらってるんですけど、今行き場所がない状態です。
この時にですね、私ちょっと八丈高校に去年ぐらいから出入りをしてるんですけれども、支援員?としてですね。その時に虎生くんがですね、大学もなんか海関係に興味があるんですよね。漂着船にすごく興味を持っていただいて、実際に一緒に見に行ったりとかした後に、今「八丈学」っていって、八丈高校で八丈島のことを学習する授業があるんですね。その中の研究対象として虎生くんがこの漂着船を選んでくれたんです。
【大澤】
なんで選んだんですか?虎生くん。
【虎生くん】
そうですね、やっぱり東日本大震災が10年前でしたっけ、その時は。海を回って八丈島に来て、自分、海とか魚が好きなんですけど、すごい神秘を感じたというか、時の流れみたいな・・・漂着、ちょっとそういうの面白いなと思って、ぜひ調べてみたいなと思って選びました。
【大澤】
その情報を聞いて面白いなと思って、実物を見たいなと思ったっていう感じなんですか?大類さんと初めに見にいったんですか?
【虎生くん】
そうですね、最初大類さんに見にきて・・・
【大類】
そうですね、私と直接というよりはその間に理科の先生がいて、理科の先生もめちゃくちゃ興味持っちゃって、俺も研究するとか言い出して、二人でいらっしゃったんですよね。
【大澤】
初めに実際の実際の漂着船を見たときってどういう感じでした?
【虎生くん】
まず見たときに珊瑚が中にすごいびっしりついていて、船の中に珊瑚っていう。映画の中とかでの海の中に沈んだ都市であったりとか、逆に山の中で昔住んでた人とか、自然と一体になった人の文化みたいな、建築物みたいな、そういうなんか・・・かっこいいなって思って、ほんと映画の中でしかこういうつたが絡まった家とか、ちょっと綺麗でかっこいいじゃないですか。そういう、わーすごいなっていう言葉にならないような魅力を感じました。
【大澤】
パワーがありますよね。私もその時ちょうど大類さんに案内してもらって見せてもらって、やっぱり生きてるというか・・・
【大類】
そうですね。生きてる状態でこう八丈に来たなっていう、よく来たぞって思いましたね。
【大澤】
私もこういう廻り神楽っていう映画を撮ってたので、映画の中にいろいろ海に流されて行方不明になった方達っていうイメージがある、たくさん話としても出てくるし、映画の中の宝来館っていう女将がいたところなんかも流木を燃やすっていう、あの沿岸部にたくさんあるわけではなくて女将がそういう風に考えて、神楽のときに燃やして、行方不明の方達に帰って来てもらいたいっていうか何か目印として帰って来てほしいのと、あと弔いのイメージもあると思うんですけど、なんかその八丈来たときにちょうど私もいて、そういうニュースを聞いて、しかも初め流木だと思ったんですよね漁師さんがね、まだ翌日もあったから引き上げてみたら船だったっていう。すごくなんかね・・・
【大類】
ドラマチックです。船に番号がそのまま残ってたので、船主さんが誰かっていうのも分かったんですよね。私がちょっとあるNHKの番組にリモートで出させてもらったときに、その船主さんのお知り合いと知り合うことができて、これはぜひ虎生くんに船主さんと喋ってもらおうと思って、電話をしたんだよね。
【虎生くん】
はい、インタビューさせてもらいました。
【大類】
その時の聞いたこととか今ぜひ。
【虎生くん】
はい、持ち主のミカミさんという方にインタビューさせてもらったんですけど、船の名前は「コウユウマル」っていう船らしくて・・・
【大澤】
「コウユウマル」・・・どういう字書くんですかね?
【虎生くん】
それがあの・・・なかなか宮城弁が強い方で、白辺になんちゃら〜みたいな(笑)
【大澤】
白辺・・・?!
【虎生くん】
なんか、色の白ですかね。どっかしらにコウという字に白が入るのはわかってるんですけど、なかなかもうすごい方言が強い方だったので、ちゃんと漢字が聞き取ることができずに。
【大澤】
ユウはどういう字なんですか?
【虎生くん】
ユウは優しいっていう字じゃないかな確か。でもコウだけがどうしても聞き取れずに、なかなかスルーしてしまったので最後に聞き直すこともできずに。コウだけ・・・はい。
【大澤】
そのなんか方言をそのまま平仮名にしたりすると面白いかもしれないですね。廻り神楽にも方言ばりばり使ってるんですけど、絶妙にちょっと少し変化はさせてるんですけど、方言の持つ魅力もあるし、がっちり漢字がわからなくても、ごにゃごにゃって言ってるのを平仮名でこう・・・
【虎生くん】
そうですね、八丈島も方言がなかなか独特な方言があるんですけれども、やっぱり他の人の方言に触れるとなかなか・・・貴重な体験だったなとか・・・そこは申し訳ないなというか、持ち主の方に。
【大類】
あとは船が沈まなかったんじゃないかっていう理由教えてもらったんだよね。
【虎生くん】
そうですね。まずその船が映画にも出てきたような養殖見たいな感じに使われてて?でも持ち主の方もでっかい船、カジキ漁みたいな沖に出てすごい大物を取ってくるような船は別に持っていてあまり使っていなかったのもあるんですけど、ちょっと改良して船の・・・船ってこうちょっと、一般の船よりちょっと後ろに高さを出してて、漁で使いやすいように改良してたらしいんですね。なので他の船と違うところはそこだって言われたんで、もしかしたらこれがうまく都合よく浮くのに効果を発揮して、たまたまそれが・・・
【大澤】
この漂着したサッパ船自体がそういうちょっと違う、普通のサッパ船と何か違うの?
【大類】
なんかね少し後ろカスタムしてある、持ち上げてたらしいです。
【大澤】
船の写真出ます?もう一回。
【大類】
ちょうど後ろが見えない写真でごめんなさい。後ろのエンジンがもう最初から取れてたので、それでこうマイナス浮力じゃなくなったっていうのももしかしたら関係あったのかもしれないですね。
【虎生くん】
そうですね、なかなか面白いなと。もしかしたら関係あるんじゃないかとか、聞いていて面白かったですね。
【大類】
あとなんか話してたっけ。
【虎生くん】
あとは・・・すごいしょうもないですけど朝ドラの話しで盛り上がったりもしましたね。
【大澤】
朝ドラ・・・!ああ、今気仙沼のやつやってるやってるんだね。
【虎生くん】
すいませんちょっと関係ない話しをしてしまって(笑)。
【大澤】
その今漁師さんはどういう風に生活されてるというか、このサッパ船はこの港に繋留されてて津波で持ってかれて、犠牲者はいなかったってことですか?そのご家族は。
【大類】
(ご家族)は大丈夫で、船自体もそんなに毎日使ってる船じゃなくて、ワカメ漁とかアワビ漁だっけ、時々使ってた船で、流されちゃったっていう風に言ってましたね。
【虎生くん】
周りの船も、漁師の方はその船以外はもう全部どこに着いているとかそういう情報はなくて、やっぱこの船だけ奇跡的に流れてそれを見つかって、引き上げられて今この場にあるみたいな。
【大澤】
はいはいはい・・・仲間の船はもう全然どこにも漂着していないというか。
【虎生くん】
そういう話は聞いてないみたいな感じでしたね。
【大類】
海流図は今出ますか?これちょっと借りてる海流図なんですけど・・・
【大澤】
日本がこう左にあって・・・
【大類】
えーっとね、またこれルートを研究するのすごく難しくて、まだはっきりわかっていないみたいなんですけど、これだけルートがあるんですよね、最後下のフィリピンからずっと沖縄の方入って八丈島に辿り着くルートなんですけど、何周したのか一周なのかっていうこともわかっていないので、さっき蟹の画像とかありましたけど蟹とか珊瑚、珊瑚がもし生きてたら珊瑚に入っている褐虫藻で珊瑚が特定できるので、あと蟹ですね。そういう付いてる生き物である程度のどのルートかっていうのはもしかしたら解明できたかもしれないっていうお話しがありました。
【大澤】
初め虎生くんが10年かけて八丈に来たときに、何か勘違いしてたんだよね?
【虎生くん】
そうですね八丈島って東北よりやっぱ下にあるわけじゃないですか。八丈島は黒潮が流れてるっていうのは結構有名なんですけど、黒潮ってこの通り下から上にくる海流なので、東北から直にこの向きで来ないんですよ。なので話したときに大学の方から、やっぱりここをぐるっと回ってアメリカの方からまた戻ってきて下からっていう、すごいおっきいルートで来たみたいな感じでしたね。
【大澤】
初めは違う、そういう風に思ってなかったんだよね。
【虎生くん】
自分はもうそうですね、漂着船が来たって聞いたときはまさかこっちまで行ってると思わずに、近場でそういう海流があるんだろうなぐらいにしか。
【大澤】
日本の近場でこう海流に乗って、八丈の方に10年かけて来たみたいな。
【トラオくん】
海流はとてもゆっくりだと思ってたので、このルートがもしかしたらこうかもしれないっていうルートを聞いたときにすごいびっくりしましたね。
【大澤】
そうですよね、だから今その研究を進めてるってことですよね。
【大類】
そうですね、今やってる途中みたいな感じですね。
【大澤】
なんか漁師さんのコメントをご紹介できるのが・・・
【大類】
えっとですね、私がNHKのリモートで出させてもらった時に知り合った漁師さんがササキユウイチさんていう方なんですけれども、電話で直接お話しをして、八丈島に船があるっていう話しをずっとしてたんですけれども、その時に漁師さんのコメントをですね、お話ししてた言葉があるので忘れないようにメモ書きをしておいたんですね。その漁師さんが「10年間も沈まず、太平洋にある船の墓場(船の墓場・・・ゴミが溜まる多分カリフォルニアの海流って書いてあるあたりにあるのかな?太平洋ゴミベルトの位置)に引っかからずよく戻って来てくれた。あれは震災を記憶してる船だから大切にしてほしい。」っていうふうにお話しされてました。
虎生くんが船主さんと直接お話しする前に一回お電話をしていて、その時も聞いた聞いた言葉をメモったんですけれども、船主さんご本人は「自分の元にもう戻すことはできないんですけれども、保存していただけるなら機会を見つけてぜひ八丈島を訪れて船を見たいです。」っていうふうにおっしゃってたので、とりあえず今ただ保管してるだけで展示もしてないんですけれども、捨てないで良かったなって思ってます。
なのでここですごく大きな力が働いているのが虎生くんの行動で、学校の授業で八丈に辿り着いた漂着船をテーマに研究してくれると、周りの人がすごく応援してくれるので、この研究はいつまでやるの?
【虎生くん】
まず一つの話しとして11月の後半に科学の祭典みたいなポスター発表する日があるんですけど、そこにポスターとして今わかってる時点でのまとめをして出して発表したいなと思っています。
【大澤】
それは八丈町民が普通に行ける?
【虎生くん】
そうですね、高校生ですかね。高校生の大会みたいなのがあって・・・
【大澤】
私も見に行けるやつですか11月・・・
【虎生くん】
東京の方にあるんです。
【大澤】
東京か!八丈でやるわけじゃないんだ。
【大類】
なんか結果とかわかったら教えてほしいです。そうやって虎生くんがやってることで周りも応援してくれるので、すごく今回虎生くんが船に関わってくれたのがありがたくて嬉しいことだなと思っています。
【大澤】
そうですよね。多分いろんなことが考えられるというかできるんじゃないかなと思って、海流のこともそうだし生物のこともそうだし、それこそ僕の興味あるのは八丈島における漂着船の歴史とか、いろんなことがあるわけですよね。東日本大震災だけじゃなくてもいろいろ考られるっていうか。
【虎生くん】
この船は流されて来た奇跡とかもあるわけですけれども、やっぱり震災というものがあっての船なので、なんていうか船だけに興味を持たずに震災(に遭った)の方の気持ちとかもいろいろ含めてのこの船だと思うので、そういうところもちゃんと調べていけたらなと思います。
【大澤】
そうですよね。八丈島に船が着いたってことも何かあるのかもしれないし、その漁師の方がね八丈島に機会があれば来たいって言ってくれてるわけだから。
【大類】
ぜひ来ていただきたいし、私も気仙沼の方に・・・あ、気仙沼の唐桑漁港っていうところの船です。そこにも行きたいなって思ってます。
【大澤】
ちょっと9時になったので、もし何か質問とかご感想とかがあれば一つ二つぐらい聞いて、来月も上映会するので、ちょっとその宣伝もして締めたいなっていう感じなんですけれども、どなたか何かご感想でもなんでもいいんですけれども・・・
【町人A】
質問:こう白いの付けてますよね?「しっとぎ」というのはどういう言葉なんですか?
【大澤】
「しっとぎ」というのはですね、お米を水で溶いたもの自体をしっとぎといって・・・なんていうんですかね、多分向こうの方言なんですけど、「おしとぎ」とか「おしっとぎ」とか、だからその何か白っていうものと関わってると思うんですけど、塗るだけじゃなくて権現様が宿に着いたら口の間に二つ挟んで・・・
【町人A】
世界中に日本だけじゃなくてお祭りで、黒いのを教会とかだったら・・・、沖縄とか宮古とかでも同じようなことをやる習慣てありますよね。あそこだからお米なのかもしれないけど、そういう繋がりとかがあるのかなとか思いながら・・・
【大澤】
そうですね、東北におけるお米っていうのはやっぱりずっとお米があったわけじゃなくてお米も育たない場所であったので、お米がある種その霊力を孕んでるっていうこともあると思うんですよね。山神舞の一番大事なものはそのお米を手からこう生み出して、みなさんに撒くっていうものも映画に出て来ますけど、東北におけるお米の信仰っていうのはすごく興味深いなと思って見てました。ありがとうございます。