佐々木宏さんの体験談
上映終了後
佐々木宏(以下佐々木) 映画の最後のセスナで落としたのは、私が小学校5、6年生の時だと思う。パラシュートを付けて落とすのは大事なものだけで、あとの食料はちょうど「ちょんていら」(ヘリポートがある場所)で落としても、「中原」(学校や住宅のあるところ)にバタバタバタって落ちていって。それが落とすと結果、壊れてたりするものだから、醤油は一升瓶だと割れちゃうでしょう。粉醤油って言って粉に水を入れると醤油になるやつ、味噌も水入れると味噌になっちゃう。学用品とかはパラシュートで落として1個だけパラシュートで落としたのが海のほうに飛んでった、ひとつだけ。もうそれはまた後で送ってくれたんだけど、本当に本当に涙が出た。
ほんとに食べるものがなくて、もちろんサツマイモが主食で、お腹が減ると他所の家の畑の生のサツマイモを食べてね、それでも、食べるものがないからしょうがないよね、だから誰も怒らない、子供たちにはね。そういう青ヶ島の助け合いの精神というのがあって、得たものは決して1人で食さないというね、必ずみんなで分けて食べる。そういう文化があるから、天明の大飢饉から、こんなに苦しい生活をしていても一人も餓死者を出したことがないというのが青ヶ島の食文化の歴史なんです。
大澤 高津先生は映画に出てくる感じと違いますか?
佐々木 何かイメージが違うなあ(笑)高津先生は(青ヶ島に)先生が少なくて、自分で東京の学校に行って探して結局は見つからなくて、自分の出身の法政大学の学生を3人連れてきて授業に立たせたりね。
私が一番感謝するのは、高津先生がとにかく電気の明るさ、氷の冷たさ、そういうことを全然知らないで、このまま東京に出したらどうなるんだろう、ということで修学旅行に連れて行こうと中学1年生から3年生まで24人の各父兄をあつめて、このままではどうしようもなくなっちゃうから修学旅行でもって東京を見せてこようと‥‥「先生それは良きことだじゃ」と話が進んだけど「どれくらいお金かかるの?」と聞いたら「1人3千円」と言う。そしたら「我が家の父ちゃんの日当が2百円でそんな金がどこにあるんじゃ」と怒られて(笑)
高津先生はね「分かった」ということで、また上京して東海汽船をチャーターで無料にしたり、はとバスをタダにしてもらったり、寄宿舎は江戸川の建具屋さんの家を無償で提供してもらったり、江戸川の婦人会の方に炊き出ししてもらったりして、1週間修学旅行に行ってきたんですよね。
大澤 青ヶ島のはじめての修学旅行ですね。
佐々木 そうなんだよね。もちろん青ヶ島の形を見るのもはじめてなんです。島に住んでるから島の形がどんなか分かんなかったのが、このとき「青ヶ島ってこんな形なんだ」ってはじめて見たんですね。東京へ修学旅行に行ったこともないし怖くてね。本当に自分たちと同じような人間が住んでるんだろうかみたいに(笑)ぶったまげとうじゃ(笑)
大澤 島を出ることによってはじめて島の形を認識するというのは面白い話ですね。
佐々木 それで後楽園に行った時にナイターでジャイアンツの試合でね、場内放送で「ただいま青ヶ島の修学旅行生が入場しました」って言って、3万人が入っていて、どこにいるか分かんないって(笑)同級生がね、あれわビックリしたなぁ!って、そりゃそうだよねあんな明るいもの(球場の照明)見たことがないんだから。
首相官邸にも行ったんだけど、岸信介さんが総理大臣だったときね。女の子からタニワタリを贈呈した。そしたら「皆さんもね、一生懸命勉強すれば総理大臣になれるから頑張りなさいよ」という言葉を岸さんから言われたのをおぼえてます。
あんなに親がね、みんなどこの家にも5人から8人子供がいて、食うに食えない生活なのに、無尽を組んだり、借金して、私と姉さんの2人で6千円も出してくれて、親はどうやってお金集めたのかなと思うんだけど、本当に当時の親は苦労したと思いますよ。ありがたいと思ってます、ほんとに。
大澤 ほんとにそうですね‥‥ちょっと聞きたかったのは映画に出てきた神様拝みとかは結構違うじゃないですか。ああいうシーンは、宏さんに言わせるとどうなんですか?
佐々木 映画に出てきたのは祈祷でしょう。青ヶ島の場合は「読み上げまつり」と言って、まず身を清め、昔は海岸まで行って海水で清めて、塩花をもって境内を清め、それからお湯立てというのをやって、全部きれいにしてから一連の「読み上げまつり」をやるわけですよ。それも時間的には12時間ぐらいやるので、終わるのは12時近くまでやるわけです、朝の8時から。だから神様を寄せてお願いして帰ってもらうんだけど、結局巫女さんが扇子で舞い、社人(しゃにん)は居舞、立舞、はんこう踊りとか、いろんなことをやって神様に喜んでもらって帰すというのが青ヶ島の神様拝み「読み上げまつり」なんですよ。だから(映画に出てきた)あんなことは絶対やらないですよ。
天明年間の噴火からね、55 年で還住を果たし今があるのはね、やっぱり神のおかげなの、夢中になっちゃいけないけど。だから大里神社、東台所神社、金比羅さん、渡海神社、あの玉石の数を見てください。もう何万個とあるわけでしょう。それはみんな人力で海岸から上げて、海水で清められた一寸の汚れも無いものを並べて、青ヶ島の人たちというのは守ってきたわけですよね。
東台所神社の境内の中には、おつなと浅之助の慰霊があるわけですよ。あるとき開けてみると、その中に紙が乗っかっていた、何かあるなと思って開いてみたら、もう震える手でね「神様助けてください」っていう字が書いてあって、お賽銭が乗っかってるのを見つけたんです。やっぱり都会から来る人もね、そういう苦しい時に青ヶ島に来て、青ヶ島の神様をそうやって拝んで帰る人もいるんですよ。幸せになってくれると良いなと思いながらね、私はちゃんと拝んで、清めてくるんだけども。
参加者A 飛行機からの物資の投下は一回だけですか?
佐々木 一回は東京都のなんだけど、その後に森繁久弥さんがセスナで子供たちにチョコレートと大人にたばこを落としてくれましたね。そういうのがみんな雑誌ね「明星」と「平凡」に載ったもんだから、そのあと慰問品がいっぱい来たの。手紙もいっぱい来て、子供たちがみんな分担して、何十通ももらって返事書いたんだけど。そうすると中にお金が入ってたりするわけよ。それはね、先生って高津先生に渡したけど、どこにいったのかな(笑)
大澤 今回いろいろな資料を読み込んでいてびっくりしたのは「牛祭り」は高津先生の考案っていう‥‥
佐々木 「牛祭り」は要するに当時は車の代わりにみんな牛でしょ。もうみんなぶったり張ったりしてさ、荷を運ぶわけですよ。それを年から年中やるわけでしょ。それを見ていて、高津先生が、やっぱりね、つかうばかりじゃ駄目だと、1年に1回牛に感謝する日を作らなきゃ駄目だということで「牛祭り」ができたんですよ。
もう一つ、それに合わせて展覧会を開いてね、工芸手芸加工品を出品して、それを今度競売にかけるわけですね。例えば何でもいいんだけど、野菜でも何でも焼酎でも、それを子供たちに売上を全部寄付するんですね。そうすると千円しかしないものが1万円まで上がっちゃうのよ。それはなぜかと言ったら子供たちに寄付するからって事でみんな買って、千円が五千円になって、あいつに負けたくないっていって1万円くらいになって。それが子供たちのものになるから全部。それで学用品を買うようにという事で、それをやって。それで島の人たちもね、仕事ばっかりじゃなくて3日くらい休んでね、交流をしましょうということで。
大澤 資料には高津先生は村の人たちが花札ばっかりやっているから、それを辞めさせるために「牛祭り」を、東北に「馬祭り」というのがあって、そこからヒントを得てやったと書いてあります。
佐々木 僕らが卒業して島を出て行ったら、だんだん人口が少なくなって青ヶ島の「牛祭り」も衰退しちゃったんですよ1回。で、山田常道先生が、このままだと八丈小島になっちゃうと、早く帰ってこい、という事を言って、帰ってきたのが昭和47年、それから青年団を結成して、そのときに「牛祭り」も復活させたんです。
参加者B 港をつくっていただいた時に、ちょうどみんなで、船が接岸した時に重子先生と行ったんですよ。接岸するとき重子先生が感激して、みんなであそこで踊りました、港で。
佐々木 あのハシケ作業は今日見た映画と同じだから、それで冬は3ヶ月も船が来ないわけですよ、港が無いんだもん。それから一生懸命みんな炭を運んだでしょう。あれはね、自分のところをいち早くね。一俵でも多く出せばお金が入るので、競って出すわけですよ。それで港にいっぱい積んで、順々にハシケでやるんだけど、もう日没で暗くなってできなくなっちゃって、船出ちゃう。欲張って出した人は、またそれを上に上げないといけない‥‥それが大変なんですよ。
そこまで計算できなかったんでしょうね。炭ませんって(会場笑)本当に何でも昔の人はやったでしょう。綿でしょ、サトウキビで黒砂糖も作ったし、本当に昔の生活は大変だったけど、何でもやったから、みんな分け隔てない、みんな助け合いの精神だから、明治14 年には八百人ここに人が住んでたんです。
参加者C 私は教員なんですけど、感動しました。高津先生は(青ヶ島小中学校に)校歌がいつも貼ってあって。学校というものがいろんなところで島と関わってきたんだなとほんとに感じました。島の中から何かというのもあるんでしょうけど、外から来た人が学校というものがすごく重要で、島との関わりが今すごく少なくなっているというのは、今の問題としてあるんですけど‥‥そういう昔からのことを考えると、その連続として今の学校があるんだなと私は思って。すごいことだなと。ショックを受けました。
大澤 宏さん、今日は貴重なお話をたくさんしていただき、ほんとうにありがとうございました。